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神奈川中央交通 リンク集

バス専業の事業者としては日本一の規模である。 神奈川県内の路線バスの他にも、東京・新宿〜平塚、新宿〜町田・相模大野・本厚木に深夜急行バスがある。横浜・町田・本厚木などから近畿地方各地や盛岡駅への高速バス路線があった(廃止前は子会社の横浜神奈交バスが運行していた)。現在も路線自体は現地のバス会社により運行されている。車両規模は、子会社を含め2,000台強である(福岡県の西日本鉄道に次いで保有台数は業界第2位)。 なお、同社は、神奈川県バス協会と東京バス協会の双方に加盟している。

神奈川中央交通の直接的なルーツは、1921年6月5日に横浜市大岡町を拠点として設立された相武自動車であるが、2009年現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている神奈川県中央部に乗合自動車が走り始めたのは、それ以前の1919年に本田綱次が設立した合資会社による、厚木と平塚を結ぶ路線の開設に端を発する。これに続くように、1920年には伊勢原自働車運輸が平塚と伊勢原を結ぶ路線で運行を開始、さらに1921年には秦野自動車が秦野と平塚を結ぶ路線の運行を開始した。同年には大谷仁三郎により橋本と田名村(当時)を結ぶ路線などの運行が開始されているほか、厚木と横浜を結ぶ路線が厚木町(当時)の有力者により開設されている。厚木と横浜を結ぶ路線は1923年に設立された中央相武自動車に営業譲渡されている。この他にも、厚木と藤沢を結ぶ片瀬自動車商会、厚木と戸塚を結ぶ鶴屋自動車商会の路線が開業するなど、1930年までに10数社のバス事業者が設立されている。東海道本線の鉄道駅と大山道の宿場町を結んで開設された路線が目立った。一方、東京府(当時)でのバス営業は1934年に原町田乗合自動車が原町田と鶴川・淵野辺と小野路を結ぶ路線を開業させたのが端緒である。 しかし、こうした小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招く事となった。そうした中、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併する事で、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた。 1928年には、伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併し伊勢原サンエキ自動車と改称、1932年には伊勢原自動車へ社名変更を行った。1931年には、江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車を合併して藤沢自動車が設立された。この藤沢自動車は藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した結果、1937年には営業キロが約300kmに達し、車両数約60台を有する大手事業者となった。同年、京王電気軌道(現在の京王電鉄)の傘下に入っている。一方、1936年には原町田乗合自動車が関東乗合自動車に合併されているほか、相武自動車が鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併した上で翌年に相武鶴屋自動車と改称した。1938年に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入り、1939年には先に東横傘下に入っていた中央相武自動車を合併の上東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線への路線展開を行った。1941年にはやはり東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承して東京都内に進出、1942年には同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した。 こうした自主的な統合という方向性は、1931年に公布された自動車交通事業法の目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった。 その一方、藤沢自動車と競合する相模鉄道では自社の相模線(現在のJR相模線)を擁護するために、1935年に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲り受けた上、1936年には愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした。

* 収支改善のための努力として、ほぼ全車で傘の販売を実施している他、横浜地区を除き中型車(基本的には各神奈交バス・委託車)に売店スペースを設置したり、い25・、い65号車に飲料自動販売機を試験的にではあるが設置していた事など、車販をするバス会社としても有名であった。なお、傘など一部を除く車内物販については2008年3月31日をもって廃止となった。 * 停留所の時刻表は、1990年頃からダイヤ作成システムでの印刷出力様式となったが、経由・行先共6文字に制限されていたため、長い行先や経由地の場合は妙な省略がされる事が多かった。例えば、「相武台グリーンパーク行」→「グリンパーク行」、「山崎団地センター」→「山団センター」などはまだ正式名称が想像できるが、「京急ニュータウン行」→「京急行」、「ヨーカドー・中沢橋経由」→「ヨ・中沢橋経由」など、地元利用者でなければ理解が困難な表記もあった。また、経由欄には必ず「経由」という文字列が、行先欄には「行」の文字が入ったため、「直通経由」「急行経由」「北循環行」という表記もあった。しかし、2000年頃のシステム更新によりこれらの妙な省略表記は解消された。但し、「山団センター」の表記はダイヤ作成システム稼動以前から車両の方向幕やLEDでも用いられており、定着しているとみなされて現在でも使用されている。なお、2004年4月1日にユニシアジェックス前から改称された「日立ユニシアオートモティブ前」は、業務上の表示等で「日立ユニシア」と略記されているが、なぜか時刻表サイトではこの略記でないと検索できない。 神奈川中央交通で主に使用される「しらゆり型」バス停ポール 一部で使用されるバス停ポール 神奈川中央交通で主に使用される「しらゆり型」バス停ポール 一部で使用されるバス停ポール * 一部停留所などで掲載している時刻表に、「基本様式」と違う独自様式のものを用いている事がある。独自様式は厚木営業所管内で多く見られる。また、同じ「基本様式」でもサイズや色が違う場合もあり、中でも町田バスセンターの町田営業所担当の乗り場に掲出されている時刻表はそのポールにより様々な色が使用されている。なお、独自様式であっても「基本仕様」の時刻表に似せて作成されている事が多い。他にも、掲出する時刻表の多さやスペースの都合により、非常に小さく印刷された時刻表が使用される場合があり、町田営業所管内などで多く見られる。町田市の「市民ホール前」停留所や稲城市にある「於部屋」停留所など、時刻表の高さがA6判程度の大きさより小さくなってしまう場合もある。 * 各乗務員は、基本的に発車時に「左よし、下よし、右よし」という指差呼称を行っている。これは他社ではあまりされていなかった発車時の指差呼称を行うことによって事故などを防ごうというものである。他の事故対策などで乗客に見る事ができるものは「安全鉄則 先ず止まれ」と書かれたプレートが運転席近くに設置されている事や、『回送時もスピードをおさえる』のスピードメーターの上に張られているピンクに黒字で印刷されたテープが挙げられる。なお、「下よし」の呼称はかつて下方不注意による死亡事故が発生し、その教訓から成された呼称である。なお、営業所や乗務員によっては「左よし、下よし、前方よし、右よし」の四方確認や、右後方確認などの呼称を行う事がある。 * 方向幕はごく一部を除いてLED表示器であり、方向幕の車両も2004年頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた。これは、路線開設や廃止などによる幕交換や、ほこりなどで汚れた幕の清掃を省略するためで、また音声合成放送放置の導入も予定されていたことから、それに先駆けて行われた。なお、通常は方向幕に終バス灯などを点灯させない。 * 1日数本から週1本など、本数の少ない、いわゆる免許維持路線、過疎路線や、大型・中型車で運行される狭隘路線も多く存在する。 * 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画した事があったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。

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